院長 香西 良亮 こうさい りょうすけ
資格
- 柔道整復師
- キネシオテーピング指導員
- 機能訓練指導員
特技
- 空手
- バスケットボール
- ラクロス
- 料理
空手の戦績
- 神戸市日本空手道選手権大会 優勝
- 西宮市空手道選手権大会 優勝2回
- 兵庫県日本空手道選手権大会 優勝
- 西日本空手道選手権大会 準優勝
- 全日本空手道選手権大会 ベスト8
高校バスケットの戦績
- 兵庫県バスケットボール大会 ベスト8
大学ラクロスの戦績
- 2部 6位
- 西日本ユース選抜強化選手
神戸市灘区で育ちずっと神戸っ子です
母は自宅でピアノ教室をしていたので、家に帰ると日によって心地のいいピアノの音と、そうでもない音が響いていたのですが、後者の時が多かったのでよく外に飛び出して遊んでいました。
母の影響で今でも音楽が大好きで院内のBGMはこだわってかけています。姉が一人の2人兄弟で、幼い時はよくシルバニアファミリーの人形で遊んでもらいました。ケンカをすると、とがった鉛筆で刺してくるのが恐怖でしたが、今でもよく気にかけてくれてとても優しい姉です(笑)
幼少期は一日に牛乳1リットルを飲み干し、顔も身体もパンパンでいわゆる「デブっちょ」でした。そんな容姿のせいで、よく同級生におちょくられたりいじめられてたりしていました。小太りで運動神経が悪い子どもでしたが、「ドッチ弾平」というドッチボールのマンガにハマっていて、他校の集まる公園に勝負を挑んでは泣いて帰っていました。
努力は報われる
空手ではまず最初に礼儀作法を厳しく教えられました。当時は幼かったので「めんどくさいな~」って思っていましたが、大人になって「相手の気持ちを思いやり、敬う心」がどれほど大切かを知りました。
練習自体はそれほど厳しいとは感じていなっかったのですが、「強くなりたい」それだけを考えていたので、道場が終わってからも先輩の練習相手をお願いしていました。
空手を習い始めて自信がつき強くなってくるにつれていじめられてなくなり、いじめられている人を守りたいという気持ちが湧いてきました。
弱気で運動神経があまりよくない私でしたが、大会で成績を残し始めて少しずつ自信がついてきた頃。全国大会に出場するという目標をたて必死に努力し高校生になって初めて全国大会に出場することができました。
何度も空手を辞めようかと思う事もあったのですが、練習に付き合っていただいた先輩や慕ってくれる後輩の前で挫折するのが、皆を裏切るような思いがしたので何とか続ける事が出来ました。
全国大会に出場した事で「努力したら報われる」という味を覚え、「不器用な自分もやればできる子なんやー!」っと前向きになる事が出来ました。
高校バスケットボールの地獄
空手で目標を達成した私は空手を引退し、バスケットボール部に入りました。
当時、神港学園バスケットボール部はそこそこ強豪校!スポーツ推薦で入部している同級生は7人ほどで、一般入部した生徒は30人ほどでした。
「やっぱり強豪校は部員が多いな~頑張らないと!」って思ってたのですが。
サブコーチ監督のもと、最悪メニュー…
- ランニング15キロ
- 50m坂道ダッシュ ×30(人数分)
- 空気椅子10秒 ×30
- 腕立て伏せ10回 ×30
- 腹筋10回 ×30
当時の私では想像出来ないほどの地獄メニュー7日間。なんと部員は9人になりました(笑)
一週間経ち、皆の身体が限界を感じてきた頃。コーチがおもむろにやって来て「よしっ!減ったな!お前たち体育館来い」!!!!!
人数減らす為やったんかいっ!!!!!
まさかの本入部テストだったみたいで後から聞いた話では「根性ない奴はうちの練習には耐えられない、だから辞めるなら早い方がいい」とかなり根性主義な部活でした。コーチは実業団、サブコーチは当時関西の得点王とかなりレベルの高いコーチ陣で、練習についていくのが必至でした。
しかし、毎日毎日厳しい練習をしているとだんだん心も身体も強くなり、2年生から少しずつ試合に出させてもらえるようになり、3年生ではスターティングメンバーとして使ってもらいチームの主力になる事が出来ました。高校での3年間は朝から晩まで練習し地獄のような日々でしたが、どんなつらい事でも乗り越える力とやればできるという自信を身につける事が出来ました。
楽しい大学ラクロス部
大学でもバスケットボール部に入ろうと思っていたのですが、練習時間が合わずラクロス部に入部しました。
空手とバスケットでボディバランスが整っていたのか、やった事のないスポーツでも何となく人並みにはできて活躍することができました。
大学では勉強よりも、素晴らしい友達がたくさんできて、今でもご飯に誘ってくれたりつらい時も力になってくれます。
憧れの整骨院の先生になってガッカリ
国家資格を取得してから整骨院に就職し、就職当初は心をときめかせていたのですが、そこは治療のセラピストとしてはやりがいのない所でした。
就職したその整骨院は、3院あるわりと大きな整骨院グループで
「マクドナルドが何で人気かわかるか?」
「それはどこの店舗に行っても同じ味を提供できるからや!」
「バイトが作ろうが社員が作ろうが同じ味にするとクレームはでない」
という方針でした。
国家資格を持ったセラピストの立場からすると、かなり屈辱的な職場でした。
しかし大好きな先輩の紹介だったので、何とかグループの本院の院長になることでき、治療の勉強を発揮できると思いました。
それから3年は色々な患者さんをみさしていただき、とてもやりがいがありました。
院の売上はかなり上がり患者さんからも強い信頼をいただいていました。
しかしこのグループではマクドナルドをリスペクトしていたので、給料も高く治療を重視していた私は「そろそろ自分で開業したらどうなん?」と、周りから“やめろオーラ”を浴びせられ、潔く退職することにしました。
努力は報われる開業への思い
整骨院で働いていて一番嬉しい事は「〇〇が出来るようになりました」「つらい症状がなくなり、仕事を続ける事が出来ました」などの感謝の言葉をいただいた時です。
その言葉をたくさんに人にいただきみんな笑顔で明るく『地域にあかりを灯す』そんな思いであかり整骨院を開業しました。
幼い時からスポーツを通じてたくさんの思い出がありました。試合で勝って楽しい思い出もあれば、ケガをして悔しい思い出もあります。
バスケットをしている時、左足関節と右膝のケガに悩まされていました。
過去にとても大切な試合の前にケガをして、試合にでる事が出来ずに負けてしまい、あんなにも練習したのに試合に出れない事が悔しくて、チームメイトに合わせる顔がありませんでした。
そんな時、病院や整骨院に行くと、どんなに辛い時も温かく接してくれる先生がいました。
不思議と話していると勇気をもらえ、また頑張ろうという気持ちが湧いてきます。
「こんなカッコいい大人に、自分もなりたい。」
そう思ったのがこの仕事を目指したきっかけになっています。
私は、自分に自信が無かったり、人からできないとバカにされたり、怪我や不調で思うように日常が過ごせない人が気になります。
身体の不調で自分の好きなことができなくなった方や、思うように結果を出せなかったり、試合前に怪我をしてしまったりした選手をサポートする時は、自然と熱が入ります。
これはきっと、バスケットや空手の試合で自分が経験した悔しさを、患者さんに味わって欲しくないという思いからだと思います。
辛い身体の痛みや不調を持ちながらも、頑張っている方はたくさんおられます。
中には「自分はこの痛いのが当たり前」「できないのが当たり前」と一人で抱え込み、可能性を閉ざしてしまう方も少なくないでしょう。そんな方に施術を通して希望を感じてもらい、一緒に可能性を切り開いていきたいというのが、私の一番の想いです。
私のビジョンは、全ての方に自分の可能性を感じてもらい、それをお互いにサポートできる世の中を作って行くことです。
だから、身体の痛みや不調で自分の好きなことが思い切りできなかったり、可能性を感じられなくなったりしているならば、私に相談してください。
一人で頑張ってきたあなたをサポートし、一緒に新しい可能性を切り開けるように、私は全力を尽くすことをお約束します。
院長 香西 良亮
(柔道整復師 香西良亮 監修)